K A L

Kichijoji Audio Laboratory

English

オーディオアンプのデザイン

技術的観点から言えば、オーディオアンプをデザインすることは科学的態度を要求するとKALは考えています。オーディオアンプにおいて再生音に直接的に影響を与えている本質的な技術的要因を解明する必要があります。発見すべきは、オーディオアンプのデザインと再生音との間の単なる相関ではなく、それらの間の因果関係であり、その因果関係を成立させている理由です。そして、オーディオアンプのデザインを支えるオーディオ技術は、電磁気学や電子工学などに基づくテクノロジーないしはエンジニアリングを利用してはじめて成立することは論を俟ちません。しかし、同時に、心理学ないし認知科学と不可分な関係にあるオーディオ技術の性質は、音楽を認識する際の人間の認知プロセスを妨害する、あるいは促進させる技術的要因に対する深い洞察を要求します。そのような妨害要因を極力取り除き、促進要因を極力取り込むことによって、人が音楽を聴くための最適な道具を作ることができるのです。したがって必然的に、オーディオアンプのデザインのために実際に使いものになるオーディオ技術の構築には、個々の技術的要因が人間の認知プロセスに影響を与えるメカニズムについての仮説を打ち立てるとともに、その仮説の真偽を確かめるための実験やシミュレーションを行なうというプロセスを当然に必要とします。例えば、オシロスコープの波形に代表される、視覚的には認識しやすい再生波形の最適化のみを技術的目標とする設計手法は、音楽を聴く為の装置を生み出すための最も遠回りな方法の1つと言えます。オーディオアンプの物理特性のうち、人間が感じ取ることができるもののほとんどが再生波形には明確に現れないようであり、現状では測定の対象とされていない、あるいは測定が極めて困難である、という事実を認めざるを得ません。

そして技術的側面と同時に、オーディオアンプのデザインは、デザイナーに対し、再生音楽に対する視点を確立することを当然に要求します。デザイナーは自らの視点に基づいて再生音の正否を評価せざるを得ないからです。この視点は人の感覚との関連において音楽の本質とは何か、すなわち音楽にとって必要な再生音の要素とは何か、またその優先順位はどうあるべきかというデザイナーの思想に対応しています。

音楽にとって正しい音とは

再生音楽に対する視点は主観的、感覚的、あるいは抽象的な性質をもち、言語で表現しきれるものでないことは当然です。しかし、あえて言えば、KALの考える音楽にとって“正しい再生音”とは、第一義的には音楽の快楽をよく表現できる再生音です。例えば、音楽がよくスウィングする、かっこいいと感じられる音、音楽が面白い、楽しいと感じられる音、音楽から恍惚感や官能性が感じられる音、あるいは、ストレスなしに音楽が聴き取れると感じられる音、などと表現できます。別の表現では、音楽を聴いて体が自然と動き出す音、あるいは泣きたくなる音、とも言えます。よりあいまいな表現によれば、音楽や演奏の芸術性が強く感じられる音ということです。一方、音楽にとって“正しくない再生音”は、面白みがない音、退屈な音、生真面目な感じがする音、色気や艶の感じられない音であり、演奏の良し悪しが分からない音、演奏者が誰であるのかが分かりにくい音、などでもあります。また、興味深いことに、音楽にとって正しい音は、そのオーディオアンプの個性自体をよく聴き取れる音でもあります。オーディオ装置を構成する個々のデバイスや回路には固有の電気的、機械的な振動のスペクトラムがあり、音楽もまた、楽器の音や声の周波数スペクトラムの合成として定義される音により構成されるからでしょう。音楽を深く認識することのできる装置は、その装置自身の個性をよく聴き取れる装置でもあるのです。

KALが2番目に重要であると考えていることは、再生音の音色が生の音に近似している、あるいは音楽的表現のバランスが再現できることです。多くの場合、コンサートホールやジャズクラブで聴くライブの音と、オーディオによる再生音との間に存在する相違点には、一定の方向性があると感じられます。一般的にオーディオアンプにおいて、再生音の明晰さ、あるいは透明感などにかかわる表現要素の欠落を抑制することは容易です。その一方、再生音に欠落しがちな音色の要素として、音色における強いコントラスト、豊かさ、陰影、暗さ、濃厚さ、柔らかさなどに関わる表現があります。後者の一群の表現要素は、音響エネルギーとしてはごく小さい倍音や叩き音、擦れ音など、人間の認知プロセスにおいて他の音にマスクされ易い微細な音に由来するため、オーディオアンプに内包される軽微な欠陥によって真っ先に喪失されるのでしょう。このような欠落しがちな表現要素の欠落を極力、回避することで、再生音における音楽的表現のバランスが生の音に近似した妥当なものとなります。また、音楽的表現のバランスがよい音は、オーケストラの内声の音程や、コンテンポラリー・ジャズなどで用いられる複雑なコードがよく聴き取れる音でもあります。オーディオ装置におけるトーンコントロールとの関係でいえば、高音域をフラットな音圧レベルより減衰させなくても、適切な音楽的表現のバランスが得られやすい音ともいえます。

“快楽の表現能力”と、“生の音との近似性”とが競合する場合には、KALでは前者を優先したデザイン手法を選択します。例えば、前者を無視して、再生音の音色を生の音に似させるために再生音の聴感上の明晰さや透明感を抑制したり、再生音に欠落しがちな表現要素を聴感上、付加し、音楽的表現のバランスを整えるような手法を採ることはありません。そのような手法は、きまって最終的に許容できないつまらなさや単調さを再生音に招き込むことになるからです。また、再生音における音楽的表現のバランスは、録音自体の音楽的表現のバランス、ルームアコースティックやスピーカーシステムの周波数特性、あるいは組み合わせる装置のもつ音楽的表現のバランスなどの多様な要因によって変化するため、特定の状況で音楽的表現のバランスを絶妙に追い込むことにそれほど重要な意味がないという事情もあります。しかし、“快楽の表現能力”と、“生の音との近似性”の両者は互いに独立したものではなく、相互に深く関連している点は疑いようもないことです。前者に対する改善を重ねることにより再生音が生の音に近づいてくるという事実が、両者の相関が高いことを証明しています。